平山郁夫美術館  
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プロフィール


平山郁夫の歩み
 
 
公益財団法人
平山郁夫美術館
〒722-2413
広島県尾道市瀬戸田町沢200-2
 
○お問合せ先
TEL.(0845)27-3800
FAX.(0845)27-3801
 
○開館時間
9:00〜17:00
(入館16:30まで)
 
○休館日
原則無休
展示替えなどのため、臨時に一部展示室がご覧いただけないことがあります。
 
 
総カウント数
 
活動記録
■平山郁夫の生い立ち
(1)中学入学・原爆被爆
(2)東京美術学校入学
(3)日本画家への道
(4)仏教伝来
(5)ヨーロッパの分厚い宗教芸術の伝統に触れる
(6)日本文化の源流を訪ねて
(7)世界へ向けて
(8)薬師寺玄奘三蔵院 ≪大唐西域壁画≫
(9)文化活動と社会的貢献
(10)文化財赤十字構想


  平山郁夫は1943年(昭和18)3月、瀬戸田国民学校を卒業後、広島市内の私立修道中学校に進学しました。太平洋戦争の戦時体制下でもあり、寄宿舎の食生活の貧しさから体調を崩して、2年生の夏休み明けに下宿住まいを始めました。孤独と空腹をまぎらすために絵を描くのが唯一の楽しみでした。
  1944年には学徒勤労動員方策が定まり、病弱な体をおして自ら志願して働いていましたが、翌1945年7月からは広島市霞にあった広島陸軍兵器補給廠(現在の広島大学医学部)に通っていました。

  8月6日は、補給廠から少し離れた渕崎(現在の仁保町)にあった補給廠の材木置き場での作業でしたが、午前8時の点呼のあと、平山郁夫は作業小屋の外で一人、晴れた空を眺めていました。純白の落下傘に気づき仲間に報せに小屋に入る、と同時に背後から大閃光に包まれました。原子爆弾の投下でした。爆心から4キロ弱の地点でしたが、一度爆心から2キロ弱の寄宿先に戻ったり、比治山橋のたもとまで様子を見に行くなどした後、地獄絵さながらの広島を逃れて生家に向かい、翌朝帰りつくことができました。
  15歳の中学生が受けた、生涯、心と身体にのこる体験であり、後に作品《仏教伝来》を始めとする仏伝とシルクロード連作へ続く画業の原点となりました。被爆したときも肌身離さず持っていた中学生時代の作品は、平山郁夫美術館でみることができます。

  被爆後、体調を崩してしばらく寝込んだこともあり、終戦後の11月、三原近郊の広島県立忠海中学校へ転校しました。

忠海中学校(1945年11月に転校)の同級生と
 前列右から平山郁夫(東京美術学校1年)
 井上竜山(忠海中学3年、現在・勝運寺住職)
 高橋玄洋(忠海中学5年、現在・劇作家)
 
修道中学で寄宿生活をおくっていた頃 寮生と
中央(1943年)
 
学徒勤労動員先の広島陸軍兵器補給廠
 
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